表現は思考のツール

2020/1/29@京都
八幡市立美濃山小学校の公開研究会へ行ってきました。
研究主任の藤原由香里さんとは、同じNPO法人の理事として、即興型学習のワークショップを一緒に企画してきました。

美濃山小学校は学力向上研究指定校として、3年前から「演劇的手法」を学習に取り入れる研究実践に取り組んできた学校です。
今年は指定校の枠から解放され、より自由に、そしてより日常的に演劇的手法を実践している様子を見ることができました。

今回は「わかば学級」を参観させていただきました。わかば学級は、異年齢の児童が集まる支援学級です。
題材は国語の「ごんぎつね」。
きつねの「ごん」が猟師の「兵十」に栗を届けに行くシーンです。

教室の一隅をほら穴に、中央を兵十の家に設定。
教科書に書かれたお話をナレーションとして聞きながら、こどもたちが一人一人ごんになって動きます。
「なってみる」「状況の内側に入る」
これは演劇的手法のかなめです。

通常、授業では教科書に書かれてあることを理解してから表現することを求められます。
たとえば、「この場面で、ごんはどんな気持ちだと思いますか?」と先生が尋ね、その答えにもとづいて演技を考えます。
頭が身体を操り人形のように動かしている感じです。

演劇的手法はその反対で、まず状況の中に入って実際に動くことによってお話を理解していきます。理解が進むことで、表現もまた変化していきます。
身体を動かすことで心が動き、理解につながる、これが演劇的手法による「表現と理解の相互作用」です。

この日の授業でも、児童が机の下のほら穴にスタンバイすることで、ごんの目線を体験します。
実際に栗を拾って兵十へ届ける動きをしながら、
「兵十、喜んでくれるかな?」
「この栗は美味しいぞ。」
「いっぱい拾えて嬉しいな。」
など、次々と心の声を発していました。

また、演劇的手法の一つである「ティーチャー・イン・ロール」を使って、先生自身も兵十になってつぶやきます。
兵十の気の毒な状況を知って、ごんになって動いている児童は、その心の動きをリアルに体験します。

授業の終わりには、各自が日記を書きます。もちろん、ごんとして、兵十へ栗を届けに行った一連のできごとを書くのです。
書くことでさらにロールプレイが深まり、ごんの気持ちを言語化できているようでした。

ごんぎつねのお話を心の深いところで理解している児童たち。ラストの兵十がごんを撃ってしまうシーンでは、きっとリアルな心の動きを体験することでしょう。

美濃山小学校の授業づくりのユニークな点は、先生方の研究実践にも演劇的手法を取り入れていることです。教案をつくる際、また授業をした後に、先生方が学習者に「なってみる」ことで、学習者目線の授業づくりが実践されています。
公開授業後の分科会では、参観した私たちも実際に児童と同じ「なってみる」体験をさせていただきました。

この研究実践を3年間サポートしてこられたのは、東京学芸大学の渡辺貴裕先生です。
渡辺先生は演劇的手法の研究実践では第一人者です。

分科会の後は、全体で渡辺先生のワークショップが行われました。ナマの渡辺先生からも直接ご教示いただけるなんて、本当にぜいたくな一日です♪
公開授業で参加者が体験したことを、渡辺先生が論理的に解説してくださるのですが、それもまた私たち参加者が実際に動くことで理解できるという仕組みになっていました。

教室での英語学習も、英語をただの記号として扱いがちになることが多いです。
演劇的手法は、心を動かしながら、英語をことばとして使う活動を可能にしてくれます。
こどもたちが心をいっぱい動かして発話するしかけを、これからも模索していきたいと思いました。

※スライド画像はすべて、美濃山小学校と渡辺貴裕氏のプレゼンテーションで使用されたものです。